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>>昭和28年6月 |
日興産業株式会社が我国で初めてスイス国のオズワルドウイス博士の特許であるホモゲンホルツ法によるパーティクルボードの機械技術を西ドイツより導入して製造を開始する。 |
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>>昭和33年11月 |
東北開発株式会社と日興産業株式会社の合弁で東北ホモボード株式会社を岩手県好摩に設立し、年間5,000tの生産規模で操業を開始する。 |
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>>昭和35年1月 |
好摩工場がJIS規格表示許可工場の認可を受ける。 |
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>>総和38年9月 |
東北開発株式会社が米沢市に建設したパーティクルボード工場を譲り受け年間30,000tの生産規模となる。 |
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>>昭和41年4月 |
都営住宅間仕切材に化粧パーティクルボード(TD)の採用決定を受ける。 |
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>>昭和41年5月 |
船舶技術研究所で、船舶B級仕切標準火災試験に合格する。 |
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>>昭和41年8月 |
日本海事協会・イギリス・フランス・アメリカ各船級協会より船舶B級仕切材使用認定を受ける。 |
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>>昭和43年3月 |
日本住宅公団に住宅間仕切材として化粧パーティクルボード(KD)の採用決定を受ける。 |
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>>昭和43年11月 |
好摩・米沢両工場の増設を完了し、年間52,000tの生産規模となる。 |
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>>昭和44年5月 |
高級オーバーレイ用ボード(ホモファイン)の発売を開始する。 |
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>>昭和45年5月 |
米沢工場がJIS規格表示許可工場の指定を受ける。 |
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>>昭和45年10月 |
好摩工場の増設を完了し、好摩・米沢工場合わせて、年間生産60,000tの規模となる。 |
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>>昭和48年9月 |
米沢工場の増強工事が完了し、好摩・米沢工場合わせて、年間生産70,000tの規模となる。 |
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>>昭和49年1月 |
建設省より難燃材料(素板)の認定を受ける。 |
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>>昭和53年8月 |
米沢に加工第一工場(建物3,220平方メートル)の工事が完了し、当社製品を主原料としたステレオなどキャビネット部材の製造を行う。 |
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>>昭和54年7月 |
東北サンウッド株式会社に営業譲渡を行うとともに商号を継承、新たに東北ホモボード工業株式会社として発足する。 |
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>>昭和54年9月 |
米沢工場において、複合材プラスチックの製造を開始する。 |
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>>昭和54年10月 |
米沢に加工第二工場(建物3,050平方メートル)の工事が完了し、第一工場及び好摩工場加工部門のレイアウト整備工事の完了と合わせて加工能力35,000tの規模となる。 |
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>>昭和54年10月 |
米沢工場において木工工作機械の製造を開始する。 |
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>>昭和54年12月 |
好摩に加工工場(建物1,460平方メートル)の工事が完了し、塩ビラミネート板製造を行う。 |
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>>昭和60年8月 |
米沢に加工第三工場(建物2,150平方メートル)の工事が完了し、塩ビラミネートの加工能力倍増する。 |
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>>昭和61年2月 |
好摩工場パーティクルボード製造ライン火災により製造を中止する。 |
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>>昭和61年7月 |
好摩に加工第二工場(建物2,816平方メートル)の工事が完了し、部材加工を行う。 |
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>>昭和62年1月 |
米沢工場パーティクルボード製造ライン改修により、生産量50,000tとなる。 |
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>>昭和62年8月 |
サンウッド株式会社より、東洋熱工業株式会社に経営権を移譲する。 |
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>>昭和62年8月 |
昭和62年8月創設の株式会社テー・アンド・エスに好摩工場を貸与。 |
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>>平成2年4月 |
建築、内部部材の加工を開始する。 |
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>>平成4年8月 |
財団法人日本環境協会エコマーク事務局よりエコマーク商品の認定を受ける。 |
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>>平成5年4月 |
株式会社テー・アンド・エス(資本金300万円)を解体し、新たに東北ホモボード工業株式会社が肩代わりする形を取り、資本金1000万円で再発足する。 |
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>>平成7年10月 |
加工第2工場に紙貼り第2ラインを新設する。 |
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>>平成10年11月 |
米沢工場敷地の一部を山形県に提供した農面道路が完成する。輸送にかかる時間が大幅に短縮する。 |
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>>平成11年5月 |
木質系のリサイクル事業の一環としてクラッシャー設備を新設する。 |
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>>平成12月9月 |
加工第一工場に硬質メラミン加工のポストフォームラインを新設する。 |
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>>平成13年12月 |
複合木質系ボードのURボードの生産設備を新設する。 |